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第15回 まんてんや
☆★☆ たこやきめぐり 第15回 ☆★☆
道頓堀くいだおれ発 山田六郎の挑戦はつづく - まんてんや - |
4年に一度ということもあって、とにかく大盛況だった食博。
4月末から11日間、大阪ではオリンピック並みに盛り上がったとのこと。
実は私も知人と出掛けるのを楽しみに、チケットまで用意してもらっていたというのに、4月末から初めての入院騒ぎで、食博のにぎわいを目にすることはできなかったのです。
(何の病気だったかというと、子供の保育所で流行中のはしかにかかり、それが肝臓にきて、急性肝炎になっていたという、お粗末な話。四捨五入したらもう40なんだから、と水をさされております)。
食博では、クレーンで焼くような直径3メートルぐらいのデカお好み焼も登場したけれど、もちろんたこ焼も負けてはいなかったようで。
なかでも、「まんてんや」というたこ焼店が出店場所のマイナス面をカバーするかのように、ゲリラ的にお客さんへアプローチしていたというのです。
名付けて「入魂!炎のたこ焼」。よそのたこ焼をつついているお客さんのそばへ駆け寄っては、「これも食べてみてください」と炎のたこ焼をすすめる。
客はモグモグ。こっちを食べればよかったと悔しがることしきり。
それをみて六ちゃんこと山田六郎氏は、うちの味はどこにも負けへんと、自信を高めていくのでありました。
六ちゃんの弟氏は、ちんどん屋さん風にパレードし、客の流れをまんてんやへ引き込みます。
あれ? 彼のきているコスチューム、どこかで見たことあるなあ、と思いきや、それはまぎれもなく、道頓堀の大阪名物、浪花にはもはや不可欠の存在、くいだおれの人形と同じ恰好だったのです。
そう、まんてんやとは、「くいだおれ」のたこ焼部門として2年前にはじまったのでした。
確かに今では全国的に大阪名物として認知されているたこ焼ですから、くいだおれさんがたこ焼をはじめるについては、時期的に決して早いとは思えません。
むしろ遅いくらいだと私なんかは考えるのです。
「どこにも負けないたこ焼をつくれ」という社長の強い思いから、今は引退された桑田常務というベテランが3年もかけて、なんとか販売にこぎつけた、というのが実情なんだそうです。
たこ焼といえども、いやたこ焼やからこそ、大阪の食の看板=くいだおれが、中途半端なもんは出せへんという気持ち、ようわかります。
とにかくそうしてできあがったたこ焼は、くいだおれ人形の立つ通りの裏側、法善寺横町に通じる、こいさん通りに開店したのでありました。
名まえも「まんてんや」。
「目標一万店達成、仕事は百点満点で」という、社長の願いを形にしたネーミングです。
くいだおれ人形の前で集合した私たちは、六ちゃんに案内されて、まんてんやへ。
六ちゃんの自信満々のことばのとおり、まんてんやのたこ焼は、そのままでも、というよりそのままが一番のおいしさ。
店の雰囲気も、くいだおれの雰囲気とは異なり、従来のたこ焼屋らしさを残したもの。
焼いてるおばちゃんも、自然体の気安さです。
人形にくらべて、あまりにもひっそりとした営業だから、なんだかかわいそうなくらいで。
せっかくならもっと派手に展開しても、と思うのだけれど、これぐらいの方がたこ焼屋には合っている、そんな声が聞こえてきそう。
それにしても「くいだおれ」について、知っているようで知らないことばかり。
しつこく訊ねる私に、最近出版された一冊がプレゼントされた。
講談社刊『ばかたれしっかりせ』。副題に「くいだおれ会長山田六郎伝」とある。
著者は柿木央久(てるひさ)さん。
なんと著者直々、サインまで入れて、持ってきてくださったのだ。喜んでたこ焼をほおばっている場合じゃない。
えっ? 山田六郎伝?
もしかしてさっきから私が取材しているお方は、くいだおれの会長なの?
あわてない、あわてない。私の目の前の山田六郎氏は30歳、くいだおれ現社長のご長男。
実はこの名まえ、「くいだおれ」の創業者と同姓同名。つまりお祖父さんの名まえをそのまま受け継いだ人なのだ。
今はなき会長山田六郎氏は、明治38年、城崎郡香住町の村長の家の六男として生まれ、20歳のとき、大阪の繊維問屋に丁稚としてはいる。
早くから洋服の時代を予測し、独立してからも「アッパッパ」などを考案、昭和22年には兵庫県の県会議員となって、24年44歳のときに、道頓堀食堂株式会社つまり「大阪名物くいだおれ」を開業。
渡欧渡米しては、自動販売機やブロイラーなどを日本に根づかせるための先鞭をつけた、商人として、事業家として、とにかくすごい人だった。
独自の勘と経験によって、模範的なマーケティングの実践者だったということが、『ばかたれしっかりせ』から興味深く読み取れる。
著者の柿木さんは東大出身の音楽ライターで、故山田六郎氏の孫に当たり、六ちゃんこと六郎ジュニアとは、いとこ同士。
表紙裏のくいだおれ開業当時の記録写真には、木造2階建てのまえにすでに人形が置かれている。
屋号のネーミングも人形のデザインも六郎氏のアイデア。「大阪一で、日本一の食堂にするのやから、屋号は大阪を代表する名」ということで。
それでも当時はだれひとり、この屋号に賛成しなかったらしい。
とにかくおもしろくて為になる山田六郎伝の一読をお勧めする。
くいだおれ人形と記念撮影したことがあっても、中でちゃんと食事をしたことがない、という人にはぜひ「大阪膳」を注文してもらいたい。
小鉢、お造り、茶碗蒸し、天麩羅、酢の物、ごはん、汁物、香の物、果物といった会席膳に、なんと自分で焼くたこ焼がついた豪華なもの。
これが二千円で、ゆったりした個室の座敷で食べられるのだから、さすがくいだおれである。
大阪膳はもともと団体予約でしか注文できなかった。
たこ焼を焼くときに、私のCDを流してくださるという、特別な趣向もついている。
それが最近では予約なしでも注文できる。ありがたい話です。
ということで、六ちゃんのご好意に甘えて、大阪膳までごちそうになってしまいました。
さて六ちゃんは、お祖父さんやお父さんを受け継ぐ商売人であると同時に、御堂筋パレードの先頭を行くパフォーマーであり、ニフティでは、粉物会議などの食を中心としたフォーラムを組織するネットワーカーでもあります。
英語、中国語、韓国語が堪能で、インターネットホームページは、くいだおれ独自のものと、山田六郎自身の両方をもっているとのこと。
唐突に踊り出すといった、ひょうきんな身のこなしは、いい体格、甘いマスクからは想像もできませんが、彼の楽しさは、大阪名物くいだおれにとって、なくてはならない存在なのです。
日本に限らず、よりインターナショナルに。
21世紀のくいだおれを支える若手の活躍を、故山田六郎氏は予感していたにちがいありません。
六ちゃんたちのこれからをじっとみつめていきたいものですね。
以上、熊谷 真菜
《探偵メモ》 会社名 ・・・・ まんてんや 住 所 ・・・・ 大阪市中央区道頓堀1-8-25 TEL ・・・・ 06-211-5300 メニュー・・・・ たこやき 8個 350円 15個 500円 |
鎌探偵のコメント | 咲探偵のコメント |
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くいだおれのたこ焼き?結構意外でした。 大阪膳も知らなかったし、店があるのは道頓堀通りのちょうど裏、通りの喧騒が嘘みたいに静かな場所ですから、隠れた名店? 一応ソースのたこやきですが、粉などを独自にブレンドしてありソースがなくても、とってもおいしいものでした。けっこうコリコリにじっくり焼いていて少し固めですが、とても印象的な味です。 取材に協力していただいた山田六郎さんのパワーに圧倒された取材でした。感謝! | 道頓堀の奥の通りが、こんなに情緒あるとは知りませんでした。「法善寺横丁こいさん通り」というのですか。 「まんてんや」は、こいさん通りのすぐそばにあります。 こじんまりした店構え、気取らないおばさんは、この通りにぴったりです。 |
※この情報はインターネット黎明期である1995年に開設された世界で初めてのたこやき専門ウェブサイト「熊谷真菜のページ」内の、これまた世界で初めてのたこ焼き食べ歩きサイト「月刊たこやきめぐり~なにわのたこやきめぐり」に掲載されていた情報です。
※お店の住所・電話番号・価格など、内容は特に記述のないものは取材当時のものです。
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