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「ハリハリ」という食文化
昭和30年代生まれの大阪人なら、家庭で鯨を好んで食べた人も多いと思います。
うちの祖父も鯨好きで、よく大黒さんのおばけの味噌汁を、我が家でも祖母に作らせていました。
おばけの定番、酢味噌和えは夏の前菜でしたし、鯨のベーコンもソースかからし醤油で頂きました。
おでんのコロは、関東煮きに不可欠でしたし、竜田揚げやハリハリは赤身のいいのが入った時に、作ってもらいました。
鯨の食文化は、関西では当たり前だったはずですが、1980年代には、捕鯨問題や、捕鯨禁止が国際的に広がり
国際捕鯨委員会の話題も聞かれるようになります。
ちょうど、鯨の解体をテーマに子ども向けの絵本を考えていた頃でしたので、徳家の大西睦子さんをたずね、
出航間近の第三日新丸の甲板に、花束をもって連れてってもらったこともあります。
捕鯨委員会のレセプションでは、女将が鯨料理をふるまうニュースも流れ、その雄姿に拍手を送っていました。
ですが、いよいよ女将はお店をしめることになり、寂しい思いでいっぱいです。
あら、真菜ちゃんも来てくれたんや・・と嬉しそうにおっしゃっていただき、この30年、もっと女将と一緒に活動していたら・・と後悔もあります。
でも女将は引退されるわけではありません。
なんとなくその気持ちに触れることができ、お店を後にするときは新しい気持ちになっていました。
徳家のハリハリのだしのおいしさに、くれおーるの皆さんとうなりつつ、なぜか時間がたっても煮詰まらないのは不思議でした。
水菜を最高においしくしてくれるこの料理、大阪の食文化として、なんとか継承する方法はないか、
女将とともに、模索できたらと願うのでした。
鯨好きの血を、絶やしたくないものです。