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第13回 たこ昌
☆★☆ たこやきめぐり 第13回 ☆★☆
感動のひととき「たこ焼懐石」 - たこ昌 - |
さらに、テレビ番組でレポーターが感動しながら食べているのを見て、何やって? たこ焼の懐石なんて聞いてあきれるわ、などどツッコミを入れた、たこ焼通も多いことでしょう。
実のところ、それは私の姿にほかなりませんした。
たこ昌のたこ焼は、ギフトとして冷凍発送してくれる商品なので、味は出たときから試していた。なのに、浜寺公園の本店まで出かけることができなかったというのは、単に南海電車に乗り慣れないという理由だけではないように述懐する。
あまりにも目に付きながら、その実体に触れていない不安感と、これまでのたこ焼という商品ジャンルでは覆いきれない、たこ昌ブランドのたこ焼商材展開のスケールの大きさと発想のおもしろさが、すんなりつながらず、なんだか大きな資本による、ふまじめな経営なのではないか、という疑いと直結してしまって、素直な気持ちで口にすることができなかった、というのが本音である。
前置きが長くなった。とにかく出かけた。
長年行きたいと思いながら、一人では勇気がなかった。がきょうは探偵団がついているから心配はない。たこ焼懐石にも出会える。ただし、社長が出てきてくださるという。いろいろな憶測をもちながら、その一点だけがこわかった。
大きな通りに面した、しゃれたお店の隣では、たこ焼が焼き続けられている。20人ほどの女性スタッフが、特性の大判銅板に向かってひたすら箸をつかって、たこ焼のひっくりかえし作業に熱中しているのだ。こんなに多くの人が、焼きの作業に取り組む光景を見たのは初めて。日本ではおそらくここだけかもしれない。
たこ焼工房がガラス越しに見えるものの、店はたこ焼懐石を出すにふさわしいレイアウトになっている。そしてついに、たこ昌の社長、山路昌彦さんの登場。
予想通り、企業の経営者タイプ、ダンディな初老の紳士だ。
あいさつし、着席すると、そこからはほとんど新入社員のように、私たち3人は社長のことばに耳を傾けていた。
山路社長は、黒門市場の宝海苔さんの三男で、業務ルートの海苔販売に早くから目を向けられ、小僧寿司におろしたり、寿司の普及のために、巻き寿司の早食い競争をイベントとして20年前から恒例で行い、若い頃からアイデアマンだった。今では節分の行事となってしまった、丸かぶりの仕掛け人だったわけだ。そのきっかけは、石油ショックの昭和48年。この年は海苔の豊作で価格破壊できるほど、安売りしたという。
そのうち山路社長は何かもっとおもしろいことをしたくなる。海苔の将来を考えても、ロマンがなかった。というのも海苔は養殖業者から、できあがったものを入札で仕入れるため、製品の善し悪しは天候などに左右され、なかなか一から関われるものではなかった。古い体質の海苔業界ではない何かもっとおもしろい世界を社長は描くようになる。
大阪ミナミで生まれ育った大阪人として、大阪みやげに注目した。食いだおれの町というものの、みやげとしては、塩こぶや粟おこしぐらいしかなかった。
もっと何か適切なものがあるはずだ。そうたこ焼である。たこ焼を大阪みやげとして売り出したい、社長はその思いであふれた。焼き方、保存、売場、発送形態。クリアしなければならない問題は山積していた。そして12年前、なんとか納得できる形が整った。2トン車2台分のたこ焼は、試作して捨てたという。
最初は近鉄百貨店で販売した。たこ焼の本場で、一箱(10個)千円もする冷凍たこ焼をだれが買うだろう。3箱売れるのに1日かかった。
みやげならということで、大阪空港に置いてもらうことになった。いちばん悪い場所ながら、スチュワーデスの口コミで一気に話題性のある商品に変身していく。昭和62年7月には、天神祭に来られた現皇太子へのおみやげに選ばれ、その年末には、宮内庁からのお達示で社長手ずから、美智子皇后へ献上する機会を得た。
社長は考えた。従来のたこ焼屋さんではないたこ焼屋を展開したいと。こうして名実ともにパワーアップしたたこ昌は、8年前この地にたこ焼懐石の店を開く。この場所は、たこ焼を焼くスタッフの集めやすい立地だから。社長が小学生の時代は、すぐそこから海がはじまり、よく泳ぎに来ていた。
いわゆるパートの人たちは、そろいのユニフォームもかっこよく、10人一組で焼く作業に取り組む。コナを流す人、タコを入れていく人、ひっくりかえす人、仕上げの焼きを見る人、できあがったたこ焼を集めていく人。裏の広い工房でも午後3時までは、同じようにたこ焼の焼き工程が繰り広げられている。
さてたこ焼懐石だが、これまた、たこ焼尽くし。前菜にはタコの酢味噌(これは社長夫人が家でつくって届けている)や衣をつけてあげたタコのおすましもおいしい。タコやコナはもちろんのこと、水も豆腐屋の水を研究して、ミネラルウオーターに還元したものをつかう。
感動した
のは、から揚げたこ焼。ふつうのたこ焼を揚げることで、ここまで変心するのかと思うほど。いやここのは特別おいしかった。懐石をたのまなくて、どれか一品を選ぶなら、から揚げははずしてほしくない。
私にとっては、なかなか縁遠いたこ昌だったが、近々ミナミ道頓堀の角座そば(神座ラーメン前)に、たこ昌は4階建てのビルで登場する。たこ焼ギフトの元祖として、たこ焼激戦区へ乗り出すことで、浪花のたこ焼業界も活性化していくだろう。
タコヤキストとしては、楽しみがまた増える。
- たこ焼俳句
- 揚げたこ焼 皮カリカリの 初体験
以上、熊谷 真菜
住所 | 《探偵メモ》
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お品書き | たこ焼懐石 2人前5,800円 (食前酒、前菜2種、吸い物、しょうゆ味たこ焼、から揚げ、あんかけ、明石焼、しそ巻き、シャーベット) 紙鍋たこやき ねぎたこ焼 カレーたこ焼 お好み焼 壱銭洋食 等 |
鎌探偵のコメント | 咲探偵のコメント |
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新大阪駅でJRから地下鉄に乗り換える時、なんとなく目につくのが「元祖たこ昌」の文字。JRや大阪空港の売店でよくおかれて持ち帰りのおみやげたこやきが「たこ昌」だったので以前から気になっていました。でも、たこやき懐石ときいた時は、なんじゃそりゃと驚きました。社長の名前を見ておわかりの通り社名は社長の名前の一字をとったものです。根っからの大阪っ子で、とてもパワフルな印象が残りました。大阪名物でありながらおみやげとしてたこやきは持って返ることができないということに目をつけ、おみやげのたこやきの開発、販売を始めたところ、ただ者じゃない。元祖たこ昌の元祖は冷凍たこやき、おみやげのたこやきの元祖という意味だそうです。 社長の趣味がグルメで、懐石にしてはとおもいたち8年前に開いたのがこの店です。前菜食前酒から、たこ焼、明石焼、から揚げたこ焼、あんかけたこ焼き、しそ巻きたこやきなどが、豪華なこだわりの器にのせて出てきました。最後のシャーベット以外は、本当にたこづくしの懐石です。たこやき懐石は、庶民のたこやきというのは否定しないが、時間や雰囲気を贅沢に使った空間で味わうたこやきもいいのではないかということではじめたそうです。雰囲気もたこやき屋というより古風な料亭風。値段的には、ちょっと高めですが、でも懐石料理やフルコースを食べるくらいならそれ以上に楽しめます。ここのたこやきは、何もつけないしょうゆ味のだし入りたこやきです。ちょっとやわらかめであっさり味で、おいしいです。たこも大きいし。から揚げたこ焼きは、一般に出まわっているのよりからっと揚がっていて、コリコリとした舌触りがとてもおいしかったです。紙鍋や壱銭焼きもなかなか美味でした。 この店で使っている箸は、杉の木製の一本一本の手づくり。自然保護のため、使った後、袋に入れて持ち帰って家で利用してください、というというのもユニーク。ここのたこやきは、8割が手焼き、2割が機械だそうです。手づくりの方はみごとな流れ作業で、汁を流す人、ひっくり返す人、焼けたたこ焼きを出す人と10人くらいの分業体制で焼かれていて初めて見た焼き方なのでびっくりしました。 たこやきを焼く機械を初めて見ました。鍋に汁を流してから一周するとたこやきになっています。ただ、たこやきの底だけが平坦で完全な球ではありません。「大阪出る時連れてって~」というCMをテレビで流していて、おみやげのネーミングが「連れてって」だそうです。 | 旧26号は時々利用していたのに、たこ昌さんは知らなかった。これまでのお店とはちょっと違う、と感じながら、半分期待し、半分はとまどいながら、浜寺店に向かう。駅からお店まで、歩いてもたいした距離ではないが、何も無い。この石津川に、こんな上品なお店があったなんて、・・・穴場です。 京都を思わす、しっとりとした店内にぴったりの上品なたこ焼が楽しめます。 社長が凝っていると言うだけあって、器がすごく素敵です。たかがたこやきにこれだけのお皿を使うとは、まさにたこ焼屋のイメージをくつがえすお店、いや、割烹です。洗練されたセンスを感じます。ガラス張りの厨房では、十数人の女性が、たこ焼を焼いていました。人数もさる事ながら、何より印象的だったのは、働いている姿が、すごく楽しそうだったことです。これまでの取材で耳にしたところでは、「たこ焼を焼くのは結構重労働である」ということでした。汗を流しながら、忙しそうに焼くのがたこ焼と言う感じ。 確かに手先は、急回転で動いているのですが、役割分担が上手く機能しているのでしょう、余裕が感じられました。社長登場!話を聞けば聞くほどアイデアマン。ハイソサエティ。納得「この社長にして、たこ焼懐石のアイデアが生まれた」という感じです。 お味は、「百聞は一見にしかず」是非ご賞味ください。 心(目 )もお腹も満たされるたこ焼です。 金沢出身の私は、情緒を感じてしまいました。 特に、印象に残ったのは、食欲そそる「食前酒」、特上の明石焼きと言う感じの「たこ焼入りおすまし」、”揚げたこ”とは呼ばない、まさに「から揚げ」、そして、「壱銭洋食!!」たこ焼屋さんのお好み焼には、偏見があったのですが、この壱銭洋食は、絶対に食べたい一品です。 |
※この情報はインターネット黎明期である1995年に開設された世界で初めてのたこやき専門ウェブサイト「熊谷真菜のページ」内の、これまた世界で初めてのたこ焼き食べ歩きサイト「月刊たこやきめぐり~なにわのたこやきめぐり」に掲載されていた情報です。
※お店の住所・電話番号・価格など、内容は特に記述のないものは取材当時のものです。
※お店の公式サイトなど、リンク先が閉鎖されたり変更されている可能性があります。
※紹介したお店はすでに移転・閉店されている場合がありますのでご注意ください。